綾部の文化財掲示板
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花と綾部の文化財190
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2009年 6月25日(木)14時26分46秒
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区(やまがちく)の広瀬町には山家城址がある。この山家藩は陸戦の武将・谷衛友(たにもりとも)が天正十年(1582)に山家に入部して始まった。谷氏は近江佐々木定綱の後裔で、近江国甲賀郡谷の郷に住み、最初には「谷野」と名乗りついで「谷」となった。この織田信長「感謝状」は谷衛友の父・衛好(もりよし)が信長に仕え、天正四年(1576)に石山本願寺戦の時、木津・難波表の戦功により、次のような感状を受けた。「於木津難波表相働首五到来感悦候 弥向後可抽戦功候也 天正四年五月廿三日 信長(朱印) 谷野大膳どのへ」。衛友は衛好の子で幼名は甚太郎といい後、出羽守となった。この豊臣秀吉「感謝状」は十七歳の時、父に従って三木城攻めに加わり、父・衛好戦死の時、ただちにその敵を打ち首を取り返した。秀吉は父・衛好の戦死を哀れみ、衛友に、下の感状を与え、父の本領6千石と新規に2ヶ所の加増を行った。「今度別所誅伐の剋父大膳亮抽軍功遂討死別而不便被思食本領之外二ヶ所被宛行者也 天正七年九月廿八日 秀吉(朱印) 谷甚太郎どの」。衛友は秀吉に仕え、伊勢・賤ヶ岳・長久手・和泉の戦・九州の島津攻めなどと転戦・加増を受重ねて大名となり,山崎合戦の後,天正十年山家城主となった。関ヶ原合戦ではやむなく西軍とななったが舞鶴・田辺城攻めで「谷の空鉄砲」で有名な話だが、その戦後、細川父子のとりなしで本領を安堵され何鹿郡内で1万6千石を領し、明治維新まで続いた。詳細は下記をクリック願います。
花はアオイ
花と綾部の文化財189
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2009年 2月24日(火)10時11分58秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」西方町には綾部西国観音霊場第22番札所である高野山真言宗の宝満寺がある。この古刹では二つの事で特に有名であります。一つは京都の清水寺の名誉管長である松本大円師はこの寺の出身であること。二つ目は江戸時代の丹波三大画伯、長谷川素后(はせがわそごう、山家藩お抱え絵師)、貫山(かんざん)、そして黙知軒(もくちけん)光研上人です。黙知軒は現京都府福知山市大江町中町の平岡弥平治の次男として寛政四年(1804)に生まれ、この宝満寺中興第十六世律厳上人(1741〜1820)の弟子になり、はやくより京都に上り,永観堂玉翁について墨絵を習い、丹波に帰ってからは綾部の高津八幡宮の究竟院(くきょういん)に寄宿し、綾部藩主九鬼隆備の墨絵の指南をした。国文学、書道にも堪能で万葉調の和歌を残しています。その後、現京丹後市大宮町の岩屋寺の住職となり、大江町仏性寺の鬼ヶ茶屋の枡屋守右衛門の依頼により誠にリアルな極彩色の「大江山鬼退治絵巻二巻」と「大江山千丈ケ嶽酒呑童子由来」を残しています。その後、綾部市別所町の願成寺の住職となり明治二年(1870)に亡くなっています。黙知軒の石碑はこの宝満寺と願成寺の2ヶ所にあります。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/633.html
花はツバキ
あやべの文化財日誌・府県別取材リスト
投稿者:
なべちゃん
投稿日:2009年 1月25日(日)20時56分58秒
京都市内外、近畿各地をはじめ、北陸、山陰など広範囲にわたる綾部の文化財日誌取材一覧表を作成しました。
主として綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏の精力的な取材活動で、数多くの素晴らしい文化財の紹介記事です。
綾部の文化財を守る会の研修旅行などの記事も含まれています。楽しくご覧ください。
http://www.ayabun.net/gaiyo/fuken/fuken.html
http://www.ayabun.net/
花と綾部の文化財188
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2009年 1月21日(水)13時05分0秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町楞厳寺には高野山真言宗の古刹で関西花の寺25ヶ寺の第番札所・綾部西国観音霊場第14番札所で通称丹波のカラス寺と呼ばれる楞厳寺(りょうごんじ)がある。1月21日(水)午前9時30分から初弘法さんが厳修された。新本堂では「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」が始り、四国八十八ヶ所の御本尊とお砂をお祀り、お砂の上を巡道してお大師の霊徳を授かるのです。又、10時から「柴燈不動ゴマ祈願」が約1時間始った。午後1時に諸行事は修了した。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/631.html
花は真紅のサザンカ
花と綾部在住の文化芸術活動家シリーズ第2回鈴木隆氏の見事な作陶展示会
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2008年12月 7日(日)07時20分49秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五津合町西地9番地には新潟県出身の陶芸家「鈴木隆一家」が在住されています。あやべ市民新聞でその作品約150点の「焼物展」があることを知り、綾部のアスパ2階の展示ホールへ出かけた。之まで飲めなかったお抹茶も最近飲めるように成ったので「抹茶茶碗」を購入するのも一つの目的だった。鈴木隆さんは、小生の知った新潟県人の二人目であり、誠に新潟県人らしく朴訥な話し振りであり、大変好感が持てた。せっかちの小生次々問い合わせご本人を当惑させた様だが、とにかく写真を撮らせて頂いた。1.鈴木さんは昭和33年新潟県で出生、2.昭和57年伊豆大島焼、大場淳郎氏氏と出会い、指導を受けられた、3.昭和58年から60年丹波立杭焼にて修業、4.昭和61年現在の綾部の中上林地区の農家に築窯、焼成を始められ現在に至る。その間毎年、京都、大阪、東京、鳥取、舞鶴など各地で個展を開催され展示・即売会をされている。鈴木さんの新潟県人らしい人柄から小生の取材には随分反対されたが、漸く写真に同意を頂いた。作品は身近な湯のみ、皿、花入れなど黒や茶色などの落ち着いた色合いが特徴でも有り、小生が購入した「抹茶茶碗」は因みに3,800円又、今年から挑戦されている「銀彩」と云う焼物は一度、本焼きした作品を、更に銀を混ぜ込んだ液につけ再び焼き上げる手法で素晴らしい出来上がりで黒をベースに銀色が浮き出ている素晴らしい作品であった。写真を是非見て欲しい。又、鈴木さんは上記の如く各地へ出かけて、展示会を開催され、綾部には展示場が無いので築窯、焼成を見て見たい方は事前に電話:0773−54−0824でアポイントを取ってください。詳細の写真は下記をクリックして下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/602.html
花はしぶとく咲く「せたかあわだちそう」
12月5日午後「いかるが民俗館幹事会」開催される
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2008年12月 5日(金)17時11分21秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」では平成10年4月「綾部の文化財を守る会」及び「京都府蚕糸同友会」が郷土の民俗民具を」守っていくため「民俗・民具資料館」建設の陳情をを綾部市に出し、更に平成14年には「いかるが民俗館」を立ち上げ、民俗・民具・蚕糸具の調査活動を続けて来た。平成十年では綾部市は少子高齢化のため、学校が統廃合されるので、その廃校の活用の答申を得ていた。現在の何北中学校が豊里中学校と統合されれば何北中学校を「綾部民俗・民具・蚕糸博物館(仮称)」となっていくであろう!!この幹事会が綾部市公民館で12月5日(水)午後1時30分より約2時間開催された。
いかるが民俗館幹事及び近澤綾部資料館長
花と綾部の文化財187
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2008年12月 5日(金)09時59分26秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」豊里地区の今田町(こんだちょう)にはご祭神・応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、竹内宿弥(たけのうちすくね)の五神を祀る「八幡神社」(別名;厄除八幡さん)がある。由緒では本神は惣持寺の鎮守・小西・今田・立合の神社である。資料の元禄13年(1700)の神堂改築帳に曰く、「八幡宮・普明山如意輪観音也。(中略)右神社は小西今田立合の神社にて則境内も雨村入組二番ニ候」と。伝説口碑では、昔左甚五郎の作と伝えられる蝉錠(せみじょう)あり。ときならうぬ季節に蝉の鳴声あり、人々不思議がり、稀代の奇宝として珍重せしが、慶長5年(1600)9月福知山城主小野木縫之介(西軍)が田辺城(舞鶴)の細川幽斎を攻めんとし、出陣の途中、鍛治屋村の敵を攻撃し、その残兵がが当神に潜伏していましかと疑い、扉の外より5度刀を以っ突通した,不図金躯の蝉を刺衝した、その歳、よりこの蝉錠も鳴き止めりと。刀疵は今も残って居る、(一説に三坂女郎物語と関連する伝説がある。)詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/597.html
花は八幡神社前の南天を花と見立てた。
紅葉の京都妙心寺塔頭寺院と鹿王院の文化財を訪ねて
投稿者:
なべちゃん
投稿日:2008年11月21日(金)09時48分36秒
編集済
急な寒波の襲来で降雪があり、雪を積んだバス2台に76名が乗り、京都妙心寺に到着した。
82名の参加予定であったが、インフルエンザ流行の兆しもあり6名の当日欠席、
高齢者が多いのでしかたのない事態ではある。
幸い京都は好天気に恵まれ寒風もなく絶好の紅葉の庭園を楽しめた。
http://www.ayabun.net/
花と綾部在住の文化芸術活動家シリーズ第1回関輝夫・範子ご夫妻
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2008年11月17日(月)11時45分50秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」西八田地区の上八田町(かみやたちょう)上ノ岡ノ下22番地、電話:0773−44−1034にはアトリエ「夢旅人舎」を主催されている関輝夫・関範子ご夫妻が大きな農家を改造、され在住されている。この家の展示室では50名の椅子席が準備されコンサートも催されている。関輝夫氏は「年をとっても、死ぬまでカッコよく仕事をしたい」をモットーに、「音楽」をテーマに抽象画から焼物まで創作されている。関範子氏は「絵は楽しいものでないとダメ」をモットーに可愛い「未と女性が登場するメルヘン調の作品」がメインであるが、地元の黒谷和紙を使用した木版画、最近では自宅の休耕田で作った藍を使った「藍染めの作品」に人気が出ている。お二人の出会いはフランス留学中に出会い東京生まれの範子さんは当初フランス語の先生を目指しておられたが、綾部市生まれの画家の関輝夫さんに出会い絵の師事をされたのがきっかけであったと云う。「夢旅人舎」の名の如く全国で作品の展示会を開かれているので、綾部のアトリエを訪れて作品を見たい方は是非事前に電話して確認してください。自宅での春と秋のコンサートは有名で11月16日(日)午後3時から「第13回夢旅人舎尺八コンサート」5時まで催行されたので、初参加した。参加料は綾部のローカル通貨でたったの2ユーラ(1ユーラ=100円)でした。何と安いことか、尺八は都山流の廣見要山師、筆は特別出演で宮城社師範の赤木芳枝で(お二人共姫路市からお越しでした。)1.涙そうそう、2.都山流本曲、3、からくり花舞台、4、古典本曲「手向」、5、月下美人、6.岳陽楼に登りて、7.うるわしき青春、8.都山流本曲「木枯」、アンコール曲は何と「太陽が一杯」だった。四種類の尺八、三種類のお琴はそれぞれ特徴ある音色で堪能した。その後、お酒は赤ワインで手作り料理がでた。何と美味だったか!!!!小生車なので、持参の「回帰水」を飲み、おいしいサラダ、玉子焼き、特に感嘆したのはニンニクを丸ごと揚げてあるのを開いて中味を食すると見事な味であった、家内との約束もあり、残念ながら皆さんより早めに帰宅した。来年の春のコンサートには是非家内共参加したいものです。「夢旅人舎」の関さんご夫婦のご健勝と益々のご清栄をお祈り申しあげます。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/565.html
花はビラカンサの実を花と見立てた
花と綾部の文化財186
投稿者:
事務局長:四方續夫
投稿日:2008年11月16日(日)12時46分25秒
編集済
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」東八田地区の安国寺町には室町幕府創設者の足利尊氏公が生まれた産湯の井戸がある。その全国安国寺の筆頭がこの綾部安国寺である。室町時代は京都の十殺にも入っていたが、今は臨済宗東福寺派の山外の古刹となっています。11月16日(日)恒例の「安国寺もみじ祭り」で京都府指定文化財の綾部安国寺開山の「絹本著色天庵妙受像」縦106.2CM、横54.3CM(南北朝時代の物)それ以来640年ぶりに初公開されたので当会のみ撮影を許可されたので掲載します。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/564.html
花は大身の柿を花と見立てた
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