投稿者
 メール
  題名
  内容 HTMLタグ動画検索
    
  画像
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>歴史 ]

[PR] 単発アルバイト ショッピング枠現金化 福岡の求人・転職  物流費
teacup. ] [ 掲示板 ] [ 有料掲示板 ] [ みんなの掲示板 ] [ ブログ ] [ チャット ]

全297件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

福島県棚倉町の会員・松本英一町会議員さんよりの投稿

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 7月 2日(木)15時36分52秒
編集済
  綾部の文化財守る会
事務局 四方續夫様

 毎度楽しみに機関誌を愛読しております。
68号の村上高一会長「学童集団疎開の写真について」は感銘しました。
私のクラスに疎開の児童がおりました。戦争が終わっても両親が犠牲で帰るところがない級友です。
 今思うとはかないさが残り「決して忘れることができません」。
ご迷惑かと存じますが、学童集団疎開の写真(棚倉町第4回戦争展から商用以外の許可済み)を添付しました。

写真1.は宝屋(廃業ホールス旅館)年代不詳。
写真2. は長久寺昭和18年ころ。

----------------------------管理人----------------------------
Homepage ようこそ たなぐらへ(福島県棚倉町)
URL       http://www5.ocn.ne.jp/~poppy/top.htm

E-mail     eiichi8@violin.ocn.ne.jp
Name      Eiichi Matsumoto(松本英一)

 事務局長の四方が入院のため遅れてしまいましたが、此処で掲載させて頂ました。
福島県棚倉町(たなぐらちょう)は小生「たなくらちょう」と読むのだろうと思っていましたが、たなぐら町とにごるのです。上記のURLをクリックして松本英一議員のホームページを見て読んで頂きますと大変勉強になります。第二は英語訳文が掲載され英語の勉強にもなります。四方も九州の柳河藩のかの有名な立花宗茂(たちばなむねしげ)公がこの棚倉で1万石余の大名となり、ついで柳河に転封した事を始めて知りました。HPに掲載の町政等に付きましても大いに参考になると思慮します。

この写真は映像権のためブロックされていますのでコピーをスキャンして此処に掲載しました。写真2.のみ掲載です。
 

花と綾部の文化財194

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 7月 1日(水)17時59分46秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いあるがぐん)」豊里地区の館町(たちちょうには延喜式内社の赤国神社がある。社伝によれば丹国社(にのくにしゃ)と書いたが赤国社と書替えたという。綾部市(元何鹿郡)は古代丹波では「丹の国(にのくに)」と呼ばれていたのは確実である。はじめは稲葉山の尾根続きにある宮の段(段・だんとは高台のことを云う)に祀られていたと伝える。慶長5年(1600)兵火により類焼、什器記録を悉く消失。現本殿は様式上、元禄期(1688〜1704)以前の建立と思われる。神輿の頂部を飾る鳥には鳳凰が用いられるが、ここでは「文の鳥」と呼ばれ、銅板を曲げていくつか組み合わせて造られている。脚は鋳銅、他は打出鍍金、鋲打留(びょううちとどめ)で組み立てられており、技術的には稚拙で鄙(ひなび)た感じがする。背後の刻印から鎌倉時代、栗村荘の荘官・源光高が寄進したことがわかる。この「文の鳥」は鎌倉時代の作例として注目すべきものであり、遺例の少ない貴重なものである。なお、神輿の隅飾に用いる銅板打出造りの飛燕が一羽付属している。鎌倉時代の末頃に郷土の神社に神輿があったことは興味深いことであり、民衆生活や庶民信仰を知るてがかりになるものである。綾部市資料館「あやべ歴史のみち」よりの抜粋文。秋の大祭は例年10月7日に近い日曜日に催行される。今回の祭礼は平成19年のものから掲載した。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/644.html

花は西洋からきた「カラー」
 

花と綾部の文化財193

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 6月30日(火)18時22分59秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いあるがぐん)」吉美地区(きみ)の高倉町には高倉宮以仁王(もちひとおう)と近臣大槻光頼、渡辺俊久等の十二士を祀る延喜式内社の高倉神社がある。毎年6月30日には「夏越(なごし)の大祓式」がり取材した。治承年間平清盛の横暴極まり、後白河法皇を幽閉し以って孝心深き第二皇子の高倉宮以仁王(もちひとおう)は源三位頼政に令旨を下し賜いて、決起したが、逸道の激戦に官軍利あらず、頼政は宇治の平等院にて自刃した。しかし、宮は南都へ御落延の途中光明寺下で流矢で薨去と偽り、首記家来の十二士とともに頼政の領地丹波路へ危難を避けたが、宮は不幸にして当地御着馬の頃から御矢傷次第に重く、治承四年(1180)六月九日吉美郷里村にて矢傷のため薨去された。翌養和元年(1181)九月九日神霊を奥谷の森今の高倉村(現在地)に奉遷し、高倉天一大明神と勧請した。降って天文年間には大火災で御神像以外は悉く鳥有にきしたが、延享三年(1746)に再建した。明治四十三年八月には本殿を拝殿に移築し、新たに本殿を再建した。この拝殿は平成14年に京都府指定文化財となった。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/643.html

花は真紅のカンナ
 

花と綾部の文化財192

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 6月28日(日)20時32分5秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区(なかかんばやし)の睦合町に京都府指定文化財の南北朝時代(1390)の京都府指定文化財の鐘・鰐口(わにぐち)を持つ宝蔵禅寺(ほうぞうぜんじ)がある。奥上林地区の訪問から帰路途中であったので当会の村上高一会長と共に立ち寄り寺院の撮影をした。この指定文化財の鰐口は現在京都府立丹後郷土資料館に寄託中であるが写真を綾部資料館より提供頂いたのでここに掲載します。この鰐口は寺伝では元々付近の薬師堂に掛かっていたもので,堂が廃された時、他の什器と共に宝蔵寺へ移されたものである。鋳銅製で両面ととも同文で甲盛が強く、圏線によって三区に分かれ、中央には撞座を設けず素文であり、古様を示す。目、口唇は同寸出で、肩部に両面耳を鋳出す。表面外区に当初の刻銘、明徳元年四月十六日(1390、南北朝時代)、裏面外区に後刻印、承応四年(1655、江戸時代)を記している。比較的小型(面径26センチ、肩厚7.6センチ)だが撞座を設けない点など古様を示し、南北朝時代の鰐口としては注目すべきものである。綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」より抜粋。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/642.html

花はカサブランカ
 

花と綾部の文化財191

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 6月28日(日)13時00分37秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」奥上林地区(おくかんばやしちく)の睦合町(むつあいちょう)には下庄講中(しもしょうこうちゅう)によりお堂に祀られてきた素晴らしい平安時代の仏像が五体ある。会報69号の掲載記事のため、当会・綾部の文化財を守る会々長村上高一先生と小生の二人で訪れた。お世話役の長野さんにアポイントを入れていたのですぐさま案内頂き撮影した。堂内には阿弥陀三尊が祀られ、その前に二天の像が配置されている。阿弥陀如来はヒノキの一木造りで、これに両足部を矧寄、上品中印を結び、通肩であるのが特徴である。頭部は肉髺が高く盛り上がり、裸髪は大粒で、肩をいからせ胸腹部は厚く、大きく張った両足部には充実感があって平安時代の特徴をよく備えている。納衣の衣文は太く、両足部では深くくんだ足首に引き込まれている。像全体のいたみが甚だしく、後世の泥地彩色によって、像表面が厚く覆われているが、10世紀頃の作と考えられる。脇侍の観音菩薩と勢至菩薩も平安時代の後期の作と考えられるが,後世の補修が稚拙なため像がいたんでいるのはおしい。二天像は四天王の内、二天のみが造られたと思われる。像容に力感が溢れ,刀法も優れている。彩色は剥落しているが後補がないためかえって良さを残している。平安時代後期の作であろう。綾部資料館発行の「あやべ歴史のみち」より抜粋文。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/641.html
雑はアジサイ
 

花と綾部の文化財190

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 6月25日(木)14時26分46秒
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区(やまがちく)の広瀬町には山家城址がある。この山家藩は陸戦の武将・谷衛友(たにもりとも)が天正十年(1582)に山家に入部して始まった。谷氏は近江佐々木定綱の後裔で、近江国甲賀郡谷の郷に住み、最初には「谷野」と名乗りついで「谷」となった。この織田信長「感謝状」は谷衛友の父・衛好(もりよし)が信長に仕え、天正四年(1576)に石山本願寺戦の時、木津・難波表の戦功により、次のような感状を受けた。「於木津難波表相働首五到来感悦候 弥向後可抽戦功候也 天正四年五月廿三日 信長(朱印) 谷野大膳どのへ」。衛友は衛好の子で幼名は甚太郎といい後、出羽守となった。この豊臣秀吉「感謝状」は十七歳の時、父に従って三木城攻めに加わり、父・衛好戦死の時、ただちにその敵を打ち首を取り返した。秀吉は父・衛好の戦死を哀れみ、衛友に、下の感状を与え、父の本領6千石と新規に2ヶ所の加増を行った。「今度別所誅伐の剋父大膳亮抽軍功遂討死別而不便被思食本領之外二ヶ所被宛行者也 天正七年九月廿八日 秀吉(朱印) 谷甚太郎どの」。衛友は秀吉に仕え、伊勢・賤ヶ岳・長久手・和泉の戦・九州の島津攻めなどと転戦・加増を受重ねて大名となり,山崎合戦の後,天正十年山家城主となった。関ヶ原合戦ではやむなく西軍とななったが舞鶴・田辺城攻めで「谷の空鉄砲」で有名な話だが、その戦後、細川父子のとりなしで本領を安堵され何鹿郡内で1万6千石を領し、明治維新まで続いた。詳細は下記をクリック願います。


花はアオイ
 

花と綾部の文化財189

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 2月24日(火)10時11分58秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」西方町には綾部西国観音霊場第22番札所である高野山真言宗の宝満寺がある。この古刹では二つの事で特に有名であります。一つは京都の清水寺の名誉管長である松本大円師はこの寺の出身であること。二つ目は江戸時代の丹波三大画伯、長谷川素后(はせがわそごう、山家藩お抱え絵師)、貫山(かんざん)、そして黙知軒(もくちけん)光研上人です。黙知軒は現京都府福知山市大江町中町の平岡弥平治の次男として寛政四年(1804)に生まれ、この宝満寺中興第十六世律厳上人(1741〜1820)の弟子になり、はやくより京都に上り,永観堂玉翁について墨絵を習い、丹波に帰ってからは綾部の高津八幡宮の究竟院(くきょういん)に寄宿し、綾部藩主九鬼隆備の墨絵の指南をした。国文学、書道にも堪能で万葉調の和歌を残しています。その後、現京丹後市大宮町の岩屋寺の住職となり、大江町仏性寺の鬼ヶ茶屋の枡屋守右衛門の依頼により誠にリアルな極彩色の「大江山鬼退治絵巻二巻」と「大江山千丈ケ嶽酒呑童子由来」を残しています。その後、綾部市別所町の願成寺の住職となり明治二年(1870)に亡くなっています。黙知軒の石碑はこの宝満寺と願成寺の2ヶ所にあります。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/633.html

花はツバキ
 

あやべの文化財日誌・府県別取材リスト

 投稿者:なべちゃん  投稿日:2009年 1月25日(日)20時56分58秒
  京都市内外、近畿各地をはじめ、北陸、山陰など広範囲にわたる綾部の文化財日誌取材一覧表を作成しました。
主として綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏の精力的な取材活動で、数多くの素晴らしい文化財の紹介記事です。
綾部の文化財を守る会の研修旅行などの記事も含まれています。楽しくご覧ください。
http://www.ayabun.net/gaiyo/fuken/fuken.html

http://www.ayabun.net/

 

花と綾部の文化財188

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2009年 1月21日(水)13時05分0秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町楞厳寺には高野山真言宗の古刹で関西花の寺25ヶ寺の第番札所・綾部西国観音霊場第14番札所で通称丹波のカラス寺と呼ばれる楞厳寺(りょうごんじ)がある。1月21日(水)午前9時30分から初弘法さんが厳修された。新本堂では「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」が始り、四国八十八ヶ所の御本尊とお砂をお祀り、お砂の上を巡道してお大師の霊徳を授かるのです。又、10時から「柴燈不動ゴマ祈願」が約1時間始った。午後1時に諸行事は修了した。詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/631.html

花は真紅のサザンカ
 

花と綾部在住の文化芸術活動家シリーズ第2回鈴木隆氏の見事な作陶展示会

 投稿者:事務局長:四方續夫  投稿日:2008年12月 7日(日)07時20分49秒
編集済
  京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五津合町西地9番地には新潟県出身の陶芸家「鈴木隆一家」が在住されています。あやべ市民新聞でその作品約150点の「焼物展」があることを知り、綾部のアスパ2階の展示ホールへ出かけた。之まで飲めなかったお抹茶も最近飲めるように成ったので「抹茶茶碗」を購入するのも一つの目的だった。鈴木隆さんは、小生の知った新潟県人の二人目であり、誠に新潟県人らしく朴訥な話し振りであり、大変好感が持てた。せっかちの小生次々問い合わせご本人を当惑させた様だが、とにかく写真を撮らせて頂いた。1.鈴木さんは昭和33年新潟県で出生、2.昭和57年伊豆大島焼、大場淳郎氏氏と出会い、指導を受けられた、3.昭和58年から60年丹波立杭焼にて修業、4.昭和61年現在の綾部の中上林地区の農家に築窯、焼成を始められ現在に至る。その間毎年、京都、大阪、東京、鳥取、舞鶴など各地で個展を開催され展示・即売会をされている。鈴木さんの新潟県人らしい人柄から小生の取材には随分反対されたが、漸く写真に同意を頂いた。作品は身近な湯のみ、皿、花入れなど黒や茶色などの落ち着いた色合いが特徴でも有り、小生が購入した「抹茶茶碗」は因みに3,800円又、今年から挑戦されている「銀彩」と云う焼物は一度、本焼きした作品を、更に銀を混ぜ込んだ液につけ再び焼き上げる手法で素晴らしい出来上がりで黒をベースに銀色が浮き出ている素晴らしい作品であった。写真を是非見て欲しい。又、鈴木さんは上記の如く各地へ出かけて、展示会を開催され、綾部には展示場が無いので築窯、焼成を見て見たい方は事前に電話:0773−54−0824でアポイントを取ってください。詳細の写真は下記をクリックして下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/602.html

花はしぶとく咲く「せたかあわだちそう」
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/30 


[PR] マンション売却 脱毛 旅行会社 美容皮膚科